2019年03月03日

郁子編  召命

P5290004 - コピー.JPG郁子
郁子は、大きな転機の時にあった。困難な時、郁子の頭の中にはいつも、卒業した高校の校歌が響く。

  何来嶋の 渦潮ぞ      わが航く泊り 遠ければ
        理想に進む 若き子を    星よ北斗よ  しるべせよ
    (県立今治北高等学校 校歌より)

2012年4月、郁子は京都府綾部市を目指して山道を車で走っていた。隣には長男の北斗。ダウン症であり、聴覚障がいを併せ持つ北斗を、日本でも一、二の歴史と実績を誇る施設に預けに行くのである。北斗はまだこのことを知らない。というか、理解させる手立てがないのである。27年間、そばで慈しみ育てた北斗。郁子は、仲間の障がい児の親たちと創設した福祉作業所を、前年に他の作業所に吸収合併させる形で手放している。なぜ、今また北斗を遠い京都の地に預けようとしているのか。「召命」のためである。郁子は53歳にして再び神学校に入学しようとしているのだ。再び?なぜ再びなのか?実は30年も前に、郁子はいちど神学校に入学して牧師になろうとしたことがある。そのときの経緯は別の章で述べるとして、いったん郁子を選んだ天の父は、30年の間、郁子の準備が整うまで、じっと待っておられたのである。いや、準備などまだまだ整っていない。北斗の3人の弟達はそれぞれに自立したが、万年青年のような、純粋すぎる夫に北斗を預けていくわけにはいかない。30年の間に、両親も年を取って、長女である郁子をひどく頼りにするようになった。自分自身、神学校の厳しい授業についていけるだろうか、、、準備などまだ何一つ整ってはいない。しかし、そこに召命がある限り、従うほか、道はないことを郁子は自覚していた。
そのために、北斗を実績があるとはいえ、京都の不便な山奥にある施設に預けに行くのである。長い旅を無事に終え、十分な打ち合わせをして、後ろ髪をひかれる思いで、北斗に気づかれないように施設を後にした。もうすぐ四国の玄関口、しまなみ海道に着こうとするころ、携帯電話が鳴った。施設からである。聞くと、母がいないことに気づいた北斗が施設を飛び出し、フェンスをよじ登り、道路に転落したが、けがは大したことはないとのこと。郁子は心臓が止まりそうだった。深い疲れを覚え、車を停車させ、力が抜けた途端、今まで我慢していた嗚咽がせきを切ったようにこみ上げてきた。北斗を施設に送る計画を立て始めてから初めて号泣した。今すぐにでも引き返し、北斗を連れて愛媛に帰りたかった。しかし、郁子はそうしなかった。神学校入学への道はすでに開かれ、その険しい道をたった一人で進んでいかなければならない運命を郁子は受け入れたのである。           

人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。
People may plan all kinds of things, but the Lord’s will is going to be done.
              箴言 19章21節





posted by teacozy at 14:11| Comment(0) | 日記